3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する、3Sの研究者へのインタビューをお届けします。第4回は、富山大学の竹内勇一(たけうち・ゆういち)氏=2016年助成対象者=です。
人をはじめとする動物には「利き」があります。けれども、利きが起こるメカニズムや、脳の左右差との関わりなどについてはわかっていません。そこで富山大学の竹内勇一助教は、顕著な利きを示す魚に着目し、その脳内機構を明らかにする研究に取り組んでいます。分野融合的な視点から利きの理解をめざす竹内氏。誰もやっていない領域に面白さを見出して挑戦する研究スタイルとその現状、今後の展望などについて伺いました。
利きとは一体どういう現象なのか
── そもそも「利き手」に代表される「利き」とはどういう現象なのでしょうか。
竹内勇一氏(以下敬称略) 例えば手の場合なら、一方の手を使用する頻度の差、動かす速さや強さ、正確さなどに左右差が見られる現象です。身体の片側をよく使う現象は人以外の動物にも広く観察され、手や足だけでなく目や耳にも左右差はあります。人の利き手の場合、国や文化圏を越えて約9割が右利きであることから、生物学的要因によって利きの比率は決まっていると考えられます。ではどのような要因でこの比率が決まっているのか?また、右手は主に左脳で左手は右脳で制御される交叉支配の原理から、利きと脳機能の左右差との関係が予想されているものの、その詳細は不明です。
── 利きのメカニズムはわかっていないのですね。
竹内 人の利き手に関しては最も研究が進んでいますが、どのように利き手が決まるかは、遺伝要因なのか、あるいは発達過程における経験などの環境要因なのか、両者はどうやら複雑に関係しているようで、いまだにはっきりとしたメカニズムは理解されていません。ただ、よくわかっていないからこそ面白いと思っています。利き手のように誰でも知っている現象の奥に潜む生命現象の謎を読み解きたいのです。人の脳には1,000億個ものニューロンがあり、それらの活動によって私たちの身体は精巧かつ力強い動きを生み出します。現段階では、人の脳内活動を網羅的かつ精密に解析する手段はありません。そこで脳の基本セットが人と同じで、脳内のニューロン数が100万個と比較的シンプルな魚類、とりわけ獲物を狙うときに明らかな利きを示す鱗食魚(りんしょくぎょ)の研究を通して、利きの解明に取り組んでいます。
人のやらないテーマにこそ価値がある
── 利きを示す鱗食魚とは、どのような魚なのでしょうか。
竹内 シクリッドの仲間(スズキ目カワスズメ科)で、文字どおり、他の魚の鱗をはぎとって食べる魚です。私は、アフリカのタンガニイカ湖に生息する鱗食魚を研究対象としています。右アゴが大きくて相手の右側に向って噛みつく「右利き」と、その反対の「左利き」の両方がいます。噛み付く方向はアゴの大きさの左右差によって生じる口の開き方で決まります。博士課程の時にこの魚と出会い、2004年と2005年にあわせて半年ほどザンビアのタンガニイカ湖畔で過ごしました。1日に5時間くらい湖に潜って、魚の観察と捕獲をする日々でした。
竹内 この研究テーマを始める前には潜水の経験がなかったので、まず日本で潜水士のライセンスを取り、その後、西表島で魚類の研究をしている先輩から調査ダイビングの指導も受けました。水中での研究に向いているかどうかもさほど考えず、とにかくアフリカに行きたかったのです。然るべきときにはチャレンジすることを大切にしています。挑戦するかどうかが、その後の研究の発展性のカギとなったと思います。誰も研究をやっていない領域は、誰も挑戦していないか、挑戦して破れたかのどちらかですので。私は、人のやらない研究だからこそ自分にやる価値があると考えていて、いわゆる「研究の王道」を歩むことはあえて避けているかもしれません。
まるで水族館の水槽に潜ったようだった
竹内 現地調査は、その魚がどのように暮らしていて、他の魚たちとどのような関係性であるのかを知るには、とても重要です。ただ、私は個体間の関係性だけでなく、行動を制御している脳のメカニズムも解明したいと考えていました。そのためには実験室に持ち帰って観察と実験をする必要がありました。実験室で飼育するには、可能な限り現地の環境を再現することが望ましく、湖の中を自分で見ることができたのは貴重な体験でした。
── 実験室での繁殖はどのような形で進めたのでしょうか。
竹内 実際は実験室での繁殖が難しく、岐阜県にある水族館の協力を得て、そちらで繁殖してもらった魚を水槽で育てています。実験室での繁殖が可能となり、鱗食魚の入手を輸入のみに頼る必要がなくなったことで、研究の幅が一気に広がりました。研究に使用できる魚の数が安定しただけでなく、稚魚からの発達を追跡できるようになったのです。近年、複数種のシクリッドのゲノム情報が解読され、鱗食魚を用いた遺伝子解析も一気に進みました。利きの決定に関する遺伝子も調べていますが、現在までに右脳と左脳で明らかに大きく異なる発現を示す遺伝子が5つ見つかっています。これらは、初期胚の段階で左右軸決定に関わる遺伝子として知られ、それらが成魚の脳の左右差の維持に関わっていると考えています。これに関しては、ゼブラフィッシュやメダカといったモデル動物を比較対象として、脳の左右差の一般性について共同研究を進めているところです。
共同研究が研究を深化させる
── いろいろな分野の方と共同研究をされていますね。
竹内 中期的な目標として、右利き・左利きを司る脳内メカニズムの解明があります。この問題は、人を含めてどの動物においても解かれていない難問で、多角的に研究を進める必要があります。神経科学的なアプローチだけでなく、先ほど触れたゲノム解析に加えて、進化的解析にも取り組んでいます。タンガニイカ湖の南東部に位置し、より多様性の高いマラウィ湖のシクリッドについて研究プロジェクトを展開しています。ほかにも数理解析の専門家と共同で、利き獲得の学習アルゴリズムについて、これまで得られた行動実験データを元にシミュレーション解析を進めています。
── 異なる分野での共同研究者を見つけるのに、どんな工夫をされているのでしょうか。
竹内 研究分野にかかわらず、基本的には自分でできることは自分でやりたいと思っています。脳の研究者だから脳だけ、野外研究者だから行動観察だけにフォーカスするという人もいるでしょう。でも、私は多方面からアプローチしたい。だからいろいろ勉強をしたり研究技術を磨いたりして手を広げているわけですが、アイデアがあっても自分ではできないこともあります。そんなときは、自分のアイデアを実現してくれそうな人を探します。その場合に大切なのは、まず自分で研究のシナリオをきちんと固めてから、相手に伝える姿勢です。研究に対する熱意と勝算が伝われば、協力してくださる研究者は意外と見つかるものです。
── 共同研究者はどこで見つけるのでしょう。
竹内 学会は私にとっては貴重な出会いの機会ですね。学会に行くと「あそこにいる人は、こんなことができるよ」と知り合いから教えてもらうこともあります。企業ブースを巡るなか、次に流行りそうな研究手法や最新の道具立てから、自分の研究に使えそうなものを探したりします。今、コロナ禍によって学会がオンライン化されてしまい、こうした偶然の出会いの機会が絶たれてしまったのは、多角的な研究を進める上で大きなマイナスとなっています。
利きの仕組みを統合的に理解する
── 研究の現在地と今後の展望を教えてください。
竹内 鱗食行動を高速度ビデオカメラで撮影し運動解析することで、襲いかかる瞬間の胴の屈曲運動能力にも左右差があるとわかりました*1。また左右性の発達については、野外調査に加え、世界に先駆けて人工繁殖に成功したおかげで、稚魚の段階からの左右性の発達段階をきめ細かく観察することができました。その結果、まだ鱗食経験のない幼魚は両方向から獲物を襲うことが明らかになりました*2。その後、捕食の経験を積んでいくと口部形態の利きと対応した方向から襲うようになりました。つまり、襲撃方向の利きは経験による学習で強化されるのです。
竹内 魚の後脳には、素早い胴の屈曲運動を駆動する「マウスナー細胞」が存在します。これまでの証拠から、マウスナー細胞が鱗食魚の利きに関与すると考え、名古屋大学の小田洋一教授らとの共同研究では、マウスナー細胞の活動性や神経解剖学的な左右差を突き止めるために、ニューロンの3次元形態解析に取り組んでいます。また、鱗食魚の利き目についての実験も行っています。鱗食する直前は、右利きの鱗食魚ならおそらくは左目だけで相手の姿や動きを見ています。そこで片目の視野を遮った場合の鱗食行動の変化を調べてみました。まだ予備実験段階ですが、利き目の視野を遮ると本来の襲撃方向とは逆側から襲う比率が高まります、捕食成功率は大きく低下します。一方で、それとは逆の目を遮っても、元と同じように利き側から襲うのです。つまり、鱗食魚には捕食において重要な利き目があるようです。
今後の展望としては、神経機構、分子遺伝基盤、発達過程、生態機能、進化の5本の柱を軸として、利きの仕組みと役割の統合的理解をめざします。脊椎動物の脳の基本構造は同じなので、鱗食魚で利きの仕組みが分かれば、動物に共通した利きの理解への道が開ける可能性があります。将来的には人の利きの制御機構の構築原理や成立起源の解明につなげたいと考えています。
小さいころから「研究者になる」と決めていた
── なぜ研究者の道に進まれたのでしょうか。
竹内 実は、幼稚園のときから生き物の研究者になりたいと思っていました。だから、他の職業を選択肢として意識することがなかったのです。正確にいえば、特定の動物が好きというよりも、動物の生き様やその背景にある生命現象に興味がありました。もし今の魚と出会わなかったとしても、別の動物の現象を追求していたでしょう。大学時代にはアゲハチョウの色覚を対象とし、大学院の修士ではハンミョウ幼虫の密度効果を研究していました。その後、指導教員だった京都大学の堀道雄先生にお願いして、アフリカの魚類の研究に変えさせていただいたのです。
── 子どものころの生き物に関わるエピソードを教えてください。
竹内 とにかく小さいころから生き物を観察するのが好きでした。中でも記憶に残っているのが、小学3年生のときのアリジゴクをテーマとした夏休みの自由研究です。巣作りの様子を単に観察するだけでなく、水槽を3つ用意して、それぞれ粒の大きさの異なる砂を入れて、砂粒の違いによるアリジゴクの行動の変化を調べました。アリジゴク以外にもクワガタ、セミ、クモやミミズなど多くの動物の行動観察に取り組んだことを覚えています。母親は、私がやりたいと言ったことは大いに応援してくれる人で、一緒に観察して困った時にはヒントを出してくれることもありました。子どもながら生き物観察の楽しさに夢中になったのだと思います。今でも、研究の中心には現象の観察があり、とにかく注意深く見ることを大切にしています。そこからミクロ的視点で内的メカニズムを追求するのか、マクロ的視点で種間相互作用を解明するのか、どちらも同じくらい重要でいろんな研究をするのが楽しいですね。
── ありがとうございました。
いつもそばにあるもの |
人脈 人との出会いや会って話すことで生まれるアイデアが、研究者としての道を拓いてくれた。かつて、神経学会でのポスター発表を仁王立ちで見て「面白いね」と言ってくれたのが、現在所属する富山大学の一條裕之教授(写真右)。「共同研究者を含め、人脈に支えられて今があると言っても過言ではありません」 |
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この一冊 | 『非対称の起源』クリス・マクナマス 著 利きの研究は、基本的に理系の研究よりも人文系の研究の方がはるかに多い。でもそれぞれが行きつく本質的な問いは、大きく重なりあう。利きに関していろいろな視点から書かれたこの本はいわばネタ本。「自分の取り組んでいる魚の研究で、その問いに答えられると感じた時は挑戦します」 |
竹内 勇一(たけうち・ゆういち)
富山大学学術研究部医学系助教。1978年愛媛県生まれ。2002年横浜市立大学理学部卒業、2008年京都大学大学院理学研究科博士課程修了、博士(理学)。京都大学理学部グローバルCOE研究員、名古屋大学理学研究科日本学術振興会特別研究員-SPDを経て、2013年より富山大学医学部医学科および同大学学術研究部医学系にて助教。
取材・文:竹林 篤実(チーム・パスカル)
*インタビューはオンラインにて実施しました
写真はすべて竹内氏提供
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