3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する3Sの研究者へのインタビューをお届けしています。第15回は、熊本大学の三浦恭子(みうら・きょうこ)氏=2020年助成対象者=の研究室を訪問してきました。
アフリカのサバンナには、地中に巣を作り、アリのような真社会性生活を営む奇妙な哺乳類「ハダカデバネズミ」がいます。ハダカデバネズミがユニークなのは、見た目や変わった生活様式だけではありません。彼らはがんになりにくく、マウスの約10倍も長生きするという特異な体質を持っています。その体質の秘密が解明されれば、人間の医療にも応用できる可能性があります。日本で唯一、ハダカデバネズミを飼育・研究している熊本大学の三浦恭子氏の研究室を訪れ、これまでの歩みや研究内容について、お話をお伺いしました。
ハダカで出っ歯なネズミの研究を始めた理由
──三浦先生とハダカデバネズミとの出会いを教えてください。
三浦恭子氏(以下敬称略) ハダカデバネズミ(以下デバ)の存在は図鑑などで知っていましたが、研究対象として意識し始めたのは、大学院生のときです。当時、私は京都大学の山中伸弥教授と慶應義塾大学(慶應)の岡野栄之教授の研究室を行き来しながらiPS細胞の安全性と治療応用に向けた研究を行っていて、博士課程修了後の進路について悩んでいました。私が博士課程のときにマウス・ヒトのiPS細胞が樹立されたので、この分野の研究はこれから大きく広がっていくところでした。一方で、同時期に実用化されて普及し始めていた新技術が、「次世代シークエンス」です。この技術の登場により、DNAの塩基配列を大量に短時間で読み取ることが可能になり、今までゲノムが解明されていなかった動物も新たな研究対象として視野に入ってきたのです。
そこで私は、次世代シークエンスなどの技術も利用しながら、まだゲノムが解明されていない、ヒトにはない特徴をもつ変わった生き物の研究をしたいと考えるようになりました。できれば、変わっているだけでなく、将来的にヒトの病気の治療や予防に応用することを目指したい。博士課程の研究と並行してさまざまな生き物を検討していき、最終的にデバを研究することに決めました。
──アフリカに生息するハダカデバネズミをどうやって研究したのでしょうか。
三浦 幸運なことに、アフリカまで行く必要はありませんでした。理化学研究所(理研)で動物行動学の研究をしていた岡ノ谷一夫先生(現・帝京大学教授/東京大学名誉教授)が日本で唯一、デバの飼育と音声コミュニケーションの研究を行っていたからです。博士課程4年生だった2009年に岡ノ谷先生に連絡をして、デバの分子生物学的な研究がしたいと相談し、会いに行くことになりました。
そのときは、岡ノ谷先生たちのチームに加えてもらって一緒に研究できたらいいなと楽観的に考えていたのです。ところが、会うと開口一番に「三浦さん、残念なお知らせがあります」と言われました。岡ノ谷先生がデバの研究から撤退することを聞かされ、「うちのデバをすべてあなたにあげます」と告げられました。
予想外の展開で動揺しました。当時の私は自分の研究室を持っていない、一人の大学院生でした。一体どうすればデバ30匹を飼育できるのかわかりませんでしたが、二度とない機会なので絶対にやるしかないと覚悟を決め、何の見通しもないまま「ありがとうございます、やります」と答えました。
岡ノ谷先生の研究室を出てすぐに、共同研究者としてお世話になっていた、当時、慶應の医学部に所属されていた岡野先生(現・慶應義塾大学再生医療リサーチセンター)のところへ相談に行き、事情を話しました。岡野先生が興味を持ってくださり、研究室で飼育してもいいと言ってもらえたので、無事、デバ研究を引き継ぐことになりました。1年間、岡ノ谷先生の所に通って飼育方法を伝授してもらい、その後、デバたちを慶應の岡野研へ移動させました。その後、北海道大学で独立し、熊本大学へ移動して飼育規模が大きくなり、現在に至ります。
細胞死・細胞老化の制御により、炎症を弱めることで老化やがんを防いでいる
──ハダカデバネズミを使ってどのような研究を行ったのでしょうか。
三浦 デバの寿命は長く、老化しにくい体質(老化耐性)を持ちます。また、がん化耐性もあり、長期の死因調査で、がんの発生がほとんど見られていません。そのほか、さまざまな老化関連疾患に耐性があったり、コロニーの女王デバと数匹のオスだけが繁殖を担って、そのほかのデバは働きデバ(ワーカー)として暮らすという変わった生態を持っていたりなど、興味深い性質がいろいろあります。
何から手をつけようか悩みましたが、大学院生のときに、マウスやヒトのiPS細胞の腫瘍形成のメカニズムについて研究していたので、そのバックグラウンドを活かして、まずはデバのがん化耐性の分子メカニズムを研究しようと考えました。
研究コンセプトを分かりやすく示したこの図の出典は三浦氏主宰の 「くまだいデバ研」HP 。HPには動画とイラストで研究内容が分かりやすく紹介されている
三浦 体のがん耐性の研究を行うためには、デバの数が足りず、繁殖するのを待つ必要がありました。ところが、理研から慶應への移動のストレスのためか、女王が仔を産まなくなりました。働きデバを女王から隔離して、メスとオスのペアを作れば繁殖を始めることがありますが、さまざまなペアや隔離方法を試して新たな女王の誕生を待つ日々が続きました。廊下ですれ違うたびに岡野先生に「デバは生まれましたか」と聞かれて、「まだです」と報告し続けて1年半、ようやく妊娠したデバが現れたときはほっとしました。このままずっと生まれなかったらどうしようと考えていた日々は、とても苦しかったですね。2年待っても生まれなかったら、教授室に書き置きを残して南の島にでも逃亡しようかと考えていました。そのときは、「生まれなくて、すみません」と、せめて飲み会のネタになる笑える書き置きにするつもりだったのですが、デバが生まれてくれたので実行しなくて済みました。
──ハダカデバネズミのiPS細胞を作成したのは、個体が増えなかった期間ですね。
三浦 そうです。個体が増えなくてもできる実験をしようと思い、デバのiPS細胞の樹立を試みました。ただ、デバのiPS細胞ができないのではないかと最初は考えていました。iPS細胞を作成する過程は、細胞ががん化する過程と共通する面も多いので、がん耐性のあるデバの細胞は、iPS細胞にはなりにくい可能性が考えられたのです。その過程を解析することで、デバ固有のがん耐性機構を探ろうと思いました。しかし実際にやってみると、意外にもすんなりと作成できました。当初の予想が外れてやや残念に思いましたが、iPS細胞はさまざまな研究のためのツールとして有用ですので、それはそれで良かったということで、詳しく性質を調べることにしました。
当時大学院生だった宮脇慎吾さんらと解析したところ、デバのiPS細胞はマウスやヒトのiPS細胞と違って、未分化な状態で移植をしても腫瘍を形成しないという興味深い現象が見つかりました。詳しくメカニズムを解析したところ、がんに関係する二つの遺伝子の働きが違うことがわかり、その成果を論文で発表しました*1。
──他にはどのような研究を行っていますか?
三浦 デバの数が増えたので、生体のがん耐性について研究を行いました。当時大学院生だった藤岡周助さんや博士研究員だった岡香織さん(現・熊本大学助教)らと、デバに発がん剤を投与したところ、調べた限り一例もがんにならないことを発見しました。解析の結果、デバのゲノムには遺伝子の変異があり、炎症の原因となる細胞死(ネクロプトーシス)を誘導する能力が失われていることが分かりました*2。炎症は発がんを促進します。ネクロプトーシスを誘導する能力が失われていることで、デバががん耐性を持っているのだと考えられる結果を得ました。
また、デバの老化耐性のメカニズムについても研究しました。マウスやヒトの場合、年齢を重ねたりダメージが蓄積されたりした細胞の一部は、分裂を停止した老化細胞となります。この老化細胞が加齢とともに体内に蓄積し、周囲に炎症を起こす物質を放出することが、体の老化や加齢性疾患の原因の一つになることがわかっています。当時博士研究員だった河村佳見さん(現・熊本大学助教)らと、デバにおいては、老化細胞が細胞死を起こすことを発見しました。デバの老化細胞を詳しく調べてみると、セロトニン代謝が活性化されて過酸化水素がつくられることで、アポトーシスが誘導される仕組みが分かりました*3。 デバの体内で老化細胞が細胞死によって取り除かれることで、老化耐性・疾患耐性に寄与すると考えられます。
現在はデバが約1,600匹に増えていますし、研究室のメンバーも多くなったので、さまざまな研究を行うことができています。デバの疾患耐性のメカニズムを解析する研究を中心に、デバの社会性の研究や、デバの遺伝子改変法の開発にも挑戦しています。
二兎を追わず「面白い」研究に取り組んでいく
──三浦先生はいつ研究者になることを決めたのでしょうか。
三浦 学部4年生で研究室に所属するまでは、自分が研究者になるとは全く思っていませんでした。大学ではバンド活動に夢中で、そのまま音楽の道へ進もうかと考えるくらいのめり込んでいました。しかし、実際に実験をしてみるとだんだん面白くなってきて、もしかしたら自分は研究者に向いているかもしれないと思うようになりました。
学部は理学部化学科だったのですが、分子生物学に興味を持ち、特に、体を形作るさまざまな細胞に分化できる、いわば生命のもとともいえるES細胞に強く惹かれるようになりました。そこで、当時、奈良先端科学技術大学院大学でES細胞の研究をしていた山中先生の研究室の戸を叩きました。博士課程では山中先生の異動に伴い京都大学へ移りました。分野を大きく変えたので苦労しましたが、いろいろな人に助けてもらって、迷惑をかけながら、何とか成長していくことができました。
──その後、三浦先生はiPS細胞研究からハダカデバネズミ研究に舵を切ったわけですが、山中先生はどんな反応でしたか?
三浦 驚いていましたし、内心少し残念にも思われていたと思いますが、私の選んだ道を応援してくれました。やるなら中途半端にやらずに、徹底的にやりなさいといった意味のアドバイスをもらいました。iPS細胞研究をしながらデバを研究するのではなく、やると決めたらデバに集中して、背水の陣で行け、と。本当にその通りで、有難いアドバイスでした。もし、これまで行っていたiPS細胞研究を続けていたら、そちらの研究が中心になってしまい、デバ研究の道を切り拓いていくことはできなかったかもしれません。
── 「くまだいデバ研」の研究内容は多岐にわたっていますが、どのようにしてテーマを決めているのでしょうか。
三浦 メンバーがやりたいと思った方向性に沿って、テーマを相談して決めて、研究してもらっています。ただし、選ぶテーマが本当に「面白い」かどうかは、しっかり議論します。どんな研究でも面白いところはありますが、面白さのレベルや種類がいろいろありますよね。生命の本質的な現象の解明につながる面白さや、これまで予想もしていなかった現象が発見される面白さ、もしくは奇想天外ではないけれども研究の業界的に押さえておくべき重要な研究もあります。どれも大事で、どの面白さに惹かれるかも、人によって異なります。時間は有限なので、自分のテンションが上がる、ワクワクする研究をやりましょうといった話はします。その方が研究に全力で力を注ぐことができますしね。
私自身は、デバの疾患耐性の本質を解明したいという思いをモチベーションに研究を行っています。私がデバ研究に着手し始めた15年前から考えると、ずいぶんいろいろなことがわかってきましたが、まだまだそれは氷山の一角だと思います。ラボのメンバーや、世界中のデバ研究者たちやさまざまな研究分野の専門家と協力して、なぜデバが老化しにくく疾患になりにくいのかを解き明かせたら、ヒトの医療に応用したり、健康に長生きする方法のヒントにしたりできるかもしれません。そして、生とは何か、死とは何かという根源的な問いに迫ることができたらいいなと思っています。自身の研究の山の頂上を目指しながら、同時にデバ研究を通して、新たな方向へ飛び出して未来を切り拓く次世代の研究者をたくさん育てたいと思っています。
*1. がんになりにくい長寿ハダカデバネズミから初めてiPS細胞作製に成功~二重の防御で腫瘍を作らないことを発見~
*2. がん耐性齧歯類ハダカデバネズミの化学発がん物質への強い発がん耐性を証明
*3. 最長寿齧歯類ハダカデバネズミでは老化細胞が細胞死を起こすことを発見〜種特有のセロトニン代謝制御が鍵〜
いつもそばにあるもの |
サツマイモ 野生下では植物の根やイモを食べて生きるハダカデバネズミ。研究室ではサツマイモをエサとして与えています。「約1,600匹のデバを飼育するには大量のエサが必要です。最初の頃は八百屋で購入していて、サツマイモ代で破産しそうになりました。今は農家さんと直接つながって、規格外のイモを安価に購入させてもらっています」 |
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この一冊 |
『深い河』(遠藤周作 著、講談社) 1993年に発表された遠藤周作の最晩年の小説を、高校生のときに読んで感銘を受けたと話す三浦氏。「家の本棚にあってたまたま手にとって読みました。生や死について深く興味を抱くようになったきっかけの一冊です。今思うと研究対象に長寿なデバの研究を選んだことにもつながっているかもしれません」 |
三浦 恭子(みうら・きょうこ)
熊本大学 大学院生命科学研究部 老化・健康長寿学講座 教授。兵庫県生まれ。2003年奈良女子大学理学部化学科卒業後、奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科修士課程に進学。2010年3月京都大学大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。2010年慶應義塾大学特任助教、2014年北海道大学遺伝子病制御研究所講師、2016年同大学准教授、2017年熊本大学大学院生命科学研究部准教授を経て、2023年2月から現職。