3S研究者探訪 #13 瀬尾和哉
競技の魅力を高めるために、スポーツ工学ができること

3S研究者探訪

3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する3Sの研究者へのインタビューをお届けしています。第13回は、工学院大学の瀬尾和哉(せお・かずや)氏=2006年助成対象者=の研究室を訪問してきました。

 

2024年の夏にパリで開催されたオリンピックでは、極限まで鍛え抜かれたアスリートたちの活躍に、多くの人が胸を打たれたのではないでしょうか。スポーツは、人間の可能性を広げ、観戦する人々を楽しませ、参加する人たちの心を一つにするなど、多くの役割を担っています。そんなスポーツの世界を工学的に研究する「スポーツ工学」に携わる工学院大学の瀬尾和哉氏を訪問し、詳細な研究内容を伺いました。

スポーツ工学は複数の分野を横断する横串の学問

── 先生が専門にされているスポーツ工学とは、どのような学問なのでしょうか。

瀬尾和哉氏(以下敬称略) 複数の分野を横断する横串の学問ですね。ある競技に対して、解決すべき課題はさまざまです。私自身のベースは流体力学ですが、実際には何でもやっています。現場で出てきた多様な課題に対応したいと思ってしまうからです。

例えば、ラグビーが好きなので、ラグビーボールの飛翔について研究していました。ラグビーで、味方の選手の突進先を予想して高く蹴り上げるキックをハイパントといいますが、空高く蹴り上げられたラグビーボールは風船のようにふわふわと左右に揺れながら落ちてくることがあります。私は大学でラグビーをプレイしていましたが、そのときに、いつも不思議だなと思っていました。最初は、好奇心が研究のモチベーションでした。それが後に続く、いろいろな研究にもつながりました。

実際のラグビーボールを使って説明してくれる瀬尾氏

ラグビーを研究している縁で、車いすラグビー(ウィルチェアーラグビー)のサポートをしたこともあります。車いすラグビーをサポートするためには、ラグ車と呼ばれる車いすラグビー用車いすの車軸や軸受け、シートを検討したり、選手の手具やサポーターなどを考えたりする必要があります。専門と直接関係ないことも多く、いろいろと勉強をしながら用具を開発・提供しました。社会貢献と割り切って、何でもやりました。

私の研究は、人間に関する運動学や運動力学、用具に関する流体力学、飛行力学、構造力学等の連成力学問題をデータサイエンスにより統合するというスタイルをとっています。専門分野が多岐にわたるため、何の専門家なのか、一言では説明しがたいところがあります。私はどちらかというと総合力で勝負するタイプなので、そういう意味では、スポーツ工学と相性がいいのかもしれません。

── スポーツ工学のどういうところに惹かれていますか?

瀬尾 身近で親しみやすい研究対象であるところです。大学院生のときは、宇宙用冷却器の研究をしていました。私が教員になった当初は、大学院のときから研究しているテーマを続けていたのですが、宇宙用冷却器というテーマは親しみやすくはありません。所属していた教育学部の学生の反応もいまいちでした。そこで、学生にとっても親しみやすく、興味を持てる学際的テーマに研究対象を変更しようと思い、スポーツ工学に舵を切りました。

もちろん、自分にとってもやりたいと思う課題がスポーツ工学にはたくさんあるように感じていました。当時(1990年代)はスポーツ工学の黎明期でした。エンジニアが産業ではなくスポーツを研究対象にすることに対する批判もありましたが、スポーツ工学の研究が現在のように発展してきたことは、日本の懐の深さと平和であることを象徴しているのかもしれません。

スポーツ工学として最初に取り組んだテーマが、スキージャンプです。学生時代の指導教官が子どものときにスキージャンプをしていて、その話を院生時代にしばしば聞かされていたからです。人工的に風の流れを発生させて、実際の現場を再現・観測する「風洞装置」を使い、実物大の選手の模型に働く揚力や抵抗(空気力)を測定しました。そして、測定結果に基づき、どのタイミングで、どのような姿勢をとれば飛距離を伸ばせるのか、最適な姿勢制御法を探求しました。

スキージャンプ選手の実物大模型を使用した風洞試験(写真は瀬尾氏提供)

スキージャンプの研究をしていたのは1999年頃ですが、それから15年経ったある日、当時勤めていた山形大学の研究室に、山形市役所の職員の方が訪ねて来られたのです。話を聞いてすぐに、私のこれまでの研究経験を活かせると思いました。

改修された蔵王シャンツェ(ドイツ語でジャンプ台の意味)は、私が提案したとおりの形状です。スキージャンプ台の改修のタイミングに立ち会うなんて、一生のうちにそう何度もありません。よい経験をさせてもらったと思います。ものづくりに関わり、能動的に提案できたという実感を持つことができました。

よりエキサイティングな競技を工学でデザインする

── 蔵王シャンツェはどのような改修を提案したのでしょうか。

瀬尾 そもそも「良いジャンプ台とは何か」ということから考え、山形市の担当者と打ち合わせを重ねました。設定した目標を大雑把に説明すると、改修費が安いこと、安全に着地ができること、面白いゲームを演出できることの3点です。これらの目標をジャンプ台の形状で表現するためにはどうしたらよいかを考えていきました。

── ゲームの面白さについても考えるのですね。

瀬尾 ジャンプ台の設計で真っ先に考えることは安全に着地できることですが、それだけでなく、ゲームが面白くなることも重要です。面白いかどうかには感性が関係していますが、スポーツ工学では、感性を数値化する必要性がよく生じます。これがスポーツ工学の悩ましいところでもあり、やりがいを感じるところでもあります。蔵王シャンツェでは、「選手のスキルが飛距離に敏感に反映されること」を「面白いゲームを演出できること」と設定し、その数値化を考えました。

目標を設定できたら、あとは最適化を行います。複数の目標がありますが、それぞれに軽重をつけることなく最適化するには、パレート解という値を求めることになります。私が設計者として決定すべき設計変数は、例えば、ジャンプ台のスロープの勾配(図中のβk)など、全部で6個でした。最新の設計国際規格を満たすことを含め、外せない条件(拘束条件)も14個設定し、最適形状を求めました。当初は、拘束条件を21個設定していましたが、それが厳しすぎたようで、1ヶ月経っても計算が進みませんでした。実現不可能な解を探していたようです。そこで、拘束条件を7個減らして妥協することで、何とか最適解を見つけることができました。

ジャンプ台のスロープの設計変数。ヒルサイズ(HS)とテイクオフ角(α)は山形市の指定。それ以外の寸法を最新の規格に基づき最適設計した

計算によってパレート解を得られたら、分かりやすくグラフ化します。これは、実際に図面を引く人の創造的洞察力が働くようにするためです。そのうえで、再度、担当者と議論を重ねました。その結果、選手のスキルが飛距離に敏感に反映されるジャンプ台は、安全に着地できるジャンプ台と同じであることが分かりました。さらに改修費も安い形状をパレート解から選択し、今の蔵王シャンツェが完成しました。

蔵王シャンツェでは毎年1月に世界最高峰のFIS Ladies World Cupが開催されている(瀬尾氏による撮影)

 ── 工学の研究の成果で、より面白いゲームをデザインできるんですね。

瀬尾 そうですね。多くのスポーツは、人だけでなく用具やウェアやフィールドなどの物との相互作用で成り立っているので、工学の出番は結構あると思います。特に、パラリンピアンに関しては、ひとりひとりの状態が異なるため、まだまだサポート器具や競技用具に工夫の余地があると思います。

ただし、面白いゲームとは何か、それを定義するのはどの競技でも難しい。ラグビーの試合を例にとると、より面白くなるには、ラグビーボールはどのような仕様で作るのがよいでしょうか。遠くまで飛んだ方がいいのか、そうでないのか、跳ねた方がいいのか、跳ねない方がいいのか。また、ハイパントでは軌道が揺れた方がいいのか、そうでない方がいいのか……なかなか一概には決められません。

瀬尾氏は学生時代、ラグビー部だった

目標が設定できれば、研究によって、最適な用具のあり方を導き出すことができます。現在は、実際に起きている現象を分析する研究がほとんどですが、そうではなく、いずれは、こちらから先に提案していきたいですね。面白いゲームにするために工学的な知見を活かすことができたら、スポーツはさらに魅力的になるのではないかと思います。

正確な風洞実験のために、宙に浮かせる装置を作る

── 先生が今取り組まれている「磁力支持天秤」とはどういうものでしょうか。

瀬尾 風洞試験で使う装置ですが、世界的に見ても磁力支持天秤のある実験室はめずらしいです。風洞試験は、巨大な送風機で人工的な風を吹き付けるトンネルのような装置を使って、調べたい模型にどのような空気力が働くのかを調べる試験です。これまでの風洞試験装置では、ボールに風を送って試験をする場合、ボールを支えるための支柱が必要でした。しかし、この支柱が流れを乱してしまいます。重力下で試験する限りは、仕方ないことですが、支柱の先にボールが串刺しになっている状態では、本当に見たい現象を見ることができません。

そこで強力な磁場をかけて、測定したいボールの模型を宙に浮かせて風洞試験を行う装置が磁力支持天秤です。東北大学の流体科学研究所には世界最大の大きさを誇る磁力支持天秤がありますが、そこは槍のような細長い物体の試験が得意です。ボールの試験をさせてください、とお願いしたのですが、技術的に難しく、すぐには実現できない状況でした。それで自分で作ることにしました。

磁力支持天秤の試料を入れる部分

球が強力な磁力で浮いている

── 浮いているのは不思議な感じですね。

瀬尾 風が吹いてボールが力を受けた分だけ、電流を増加させて磁力を強め、同じ位置にキープできる仕組みです。ただ、現状、球形だとうまくいくのですが、ラグビーボールの形だと落ちてしまいます。さらに改良を進めて、ラグビーボールの研究が行えるようにしたいですね。そのためには、磁力支持天秤の大型化にも今後は取り組みたいと思っています。

風洞と磁力支持天秤を使用中はドアを開け放ち、実験室の外に向かって風を送り出す。冬場は寒いので、コントロール室はビニールハウスのようになっている。ただし長く山形にいた瀬尾氏にとって八王子の冬は大して寒くないそうだ

世界で4人目の国際スポーツ工学協会(ISEA)Fellow受賞

── 先生の机にある盾に書かれた「ISEA」とは何でしょうか。

瀬尾 ISEAは、International Sports Engineering Associationの略で、スポーツ工学分野の世界最大の国際学会です。この盾は、ISEA Fellowに選ばれたときにいただきました。世界で4人目、日本人では2人目です。

ISEAの国際会議は2年に1回行われますが、私は毎回参加して発表するようにしています。ちょうど今年の7月に開催されて出席してきたところです。今年はイギリスで行われました。円安で物価が高くなっていましたね。コーヒーとクロワッサンで2,000円、地下鉄に1回乗ると1,200円。大変でした(笑)

ISEA Fellowの記念の盾。名前が刻まれている

3月にもイギリスに行ってきました。インペリアル・カレッジ・ロンドンに招待してもらって、磁力支持天秤についての話題提供を行ってきました。もともと1960年くらいに、オックスフォード大学が中心になって磁力支持天秤を作ろうという動きがあって、取り組みはイギリスの方が早かったのです。しかし、その盛り上がりが下火になってしまって今では当時の知識がなくなってしまいました。流体研の先生や私がイギリスに行って話題提供をするのは、逆輸入のような形ですね。

── 短期間で渡英を繰り返したのは大変ではなかったですか?

瀬尾 旅行が好きなので苦にはなりません。ただ、乗り物に酔いやすいので、飛行機が揺れたときはつらいですが。取材を受けるにあたって、もし研究者になっていなければ、どんな仕事をしていたかという質問を事前にいただきましたが、移動が多くて一人でできる仕事がいいですね。できれば自分で運転して移動したいです。また、マイペースに仕事をやる方が自分には合っていると思っています。

瀬尾氏の研究室がある工学院大学八王子キャンパス。新宿にもキャンパスがあり、高学年向けの講義は主にそこで行われる(工学院大学提供)

いつもそばにあるもの 瀬尾氏の研究室にはラグビーボールやサッカーボールなどスポーツ用具がすぐに手に取れる位置に置かれていました。「ボールは実験道具です。実際に競技に使われているボールがどのような力を受けているのかを知るために、型取りをして風洞実験に使うモデルを作成します」
この一冊

沢木耕太郎『深夜特急』(新潮文庫刊) 

1986年に刊行された旅エッセイ。「一冊に絞るのは難しかったのです。沢木耕太郎さんや椎名誠さんの旅行ものが好きです。自由な感じがいいですね。また歴史も好きなんです。司馬遼太郎さんの『真田太平記』、『街道をゆく』も好きです」

 

瀬尾 和哉(せお・かずや)

工学院大学工学部機械工学科教授。1997年筑波大学大学院博士課程工学研究科(日本学術振興会特別研究員(DC1))修了。博士(工学)。その後、1997年山形大学教育学部講師、2002年同大学教育学部助教授、2012年同大学地域教育文化学部教授、2018年同大学理学部教授を経て、2022年から現職。この間、1999年~2000年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)客員研究員。2016年にはスポーツ工学分野での世界的に優れた業績と学術的発展への貢献が認められ、ISEA(国際スポーツ工学協会)Fellowを受賞する。

 

 

取材日:2024年7月16日
取材・文:寒竹 泉美(チーム・パスカル)
撮影:河崎 夕子
 
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