3S(スリーエス)とは、 稲盛研究助成 を受けた研究者から構成される「盛和スカラーズソサエティ(Seiwa Scholars Society)」の略称です。3Sでのつながりをきっかけにその多様な専門性の交流が深まることで、助成対象者の研究がさらに発展していくことを願い、1997年から活動してきました。連載「3S研究者探訪」では、さまざまな分野で活躍する、3Sの研究者へのインタビューをお届けしています。第14回は、北陸先端科学技術大学院大学保健管理センターの佐々木恵(ささき・めぐみ)氏=2022年助成対象者=の研究室を訪問してきました。
大人と子どもの間である青年期は、心が不安定になりやすい時期のひとつです。特に、大学入学で環境が大きく変わった大学生たちは、精神の不調を起こして学生生活に適応できないことがあります。現在、ほとんどの大学が学内に学生が相談できる場所を設けて対策を講じていますが、初等・中等教育と比べて高等教育における学生のメンタルヘルスについての系統立てられた知見は多くはありません。北陸先端科学技術大学院大学の保健管理センター准教授である佐々木恵氏は、学生の相談に応えながら、より良い支援のあり方を探るための研究も行っています。研究室を訪問し、詳しくお話を伺いました。
大学生の心をどうやって守っていくか
── 大学生のメンタルヘルスケアを研究する重要性を教えてください。
佐々木恵氏(以下敬称略) 大学生は名実ともにひとりの成人として自立していくプロセスの最終段階にいます。多くの人が物理的・時間的に親元を離れて新たな経験を重ねていくことで、さまざまに成長していきます。成長の可能性が多くあると同時に、大人と子どもの間で心の状態も揺れ動きます。
大学生を対象とした精神健康に関する国際疫学研究のひとつでは、大学新入生の約30%が、過去1年間に何らかの精神障害の診断基準を満たすことが示されています。その他のいくつかの疫学研究においても、おおよそ大学新入生の20~30%が精神障害の診断基準を満たすことが示されており、その中で治療や支援を受けている人は多くても30%ほどとなっています。これらは見過ごすことのできない数字だと言えます。精神的な健康を損なってしまうと、授業に出席できなくなって単位を取れなくなったり、青年期ならではの経験を積み重ねる機会を失ったりして、本人も大変苦しい状態に追い込まれます。このようなリスクのある学生を早期に把握してサポートすることが、今教育の現場で求められています。
初等・中等教育におけるメンタルヘルスの実態調査や心の健康教育は、ここ20~30年で比較的発展してきた一方で、高等教育における系統立てられた研究や実践はまだそう多くはありません。10年ほど前に世界保健機関の大学生を対象とした研究プロジェクトチームが立ち上がってからは、徐々に大規模な研究に基づく知見が増えてきているところです。一方でこの北陸先端科学技術大学院大学(Japan Advanced Institute of Science and Technology: JAIST)は、ほとんどが理工系の学生、さらに半数が留学生という、他にはあまりない特色をもつ大学院大学であることから、私が赴任した当時は参照できる先行研究がほぼありませんでした。JAISTの学生を効果的に支援するためには、日々の実践だけでなく、データを集めて研究知見を得る必要がありました。
── どのような方法で研究を行っているのでしょうか?
佐々木 新入生の入学時や学生定期健康診断の時に、精神的な健康状態や困っていることなどを尋ねる質問票(アンケート用紙)に回答してもらいます。調査の第一の目的は、メンタルヘルス不調のリスクの高い学生を早期に把握してフォローすることですが、同意を得ることができた学生のデータは研究にも使わせていただいています。また、学生相談を利用したいかどうかを尋ねる項目もあり、大学生活に不安のある学生が相談室につながるきっかけを作るようにしています。
そのほかにも、学生相談を行っていく中で、どのような困りごとや課題があるのかを観察し、研究につなげています。
── JAISTで行った研究では、どのようなことがわかってきましたか?
佐々木 今回研究助成を頂いた研究課題のひとつ前の段階で行っていた研究では、新入生の追跡調査を行い、入学時から1年後に精神症状のスコアが悪化した学生の、背景となる要因を検討しました。入学時は日本人学生の方が留学生よりも相対的にメンタルヘルスの状態が悪いことが示唆されました。このように入学時に既に状態が悪い学生に対しては早期支援を行うことになります。一方で入学時には精神症状のスコアが低かった学生で、1年後に悪化している学生はどのような学生かを見てみると、留学生であることと、「肯定的な未来志向」のスコアが低いことが示されました。
この研究のみでは、なぜ留学生のメンタルヘルスが在学中に悪化するのかを特定することはできません。学生相談から見えてくることを合わせて考えると、留学生は学業の忙しさに加えて、言語・文化・留年した場合の経済的な問題(留学生向けの奨学金の受給が停止すると生活そのものが立ちいかなくなる)に対する不安など、日本人学生とはまた違った問題にも直面しやすいことが、精神症状の悪化につながっていることが予想されます。留学生特有のストレス源を考慮しながら、支援していく必要があると思われます。
また、「肯定的な未来志向」は精神的回復力(レジリエンス)の1つの要素として位置づけられている概念です。自分なりの目標を持ち、目標に向かって努力しており、将来について肯定的に受け止めている、そういった特性になります。学生相談活動において、自分の目標が不明瞭な学生は、大学生活の中で不適応に陥る傾向にあると常々感じていました。大学生活は多くのタスクに追われて忙しい毎日になりますので、目標がない状態では「なぜこんな大変な思いをしているのだろう」と学習意欲を失ってもおかしくありません。努力する理由がないわけですから。周囲からの期待や、同年代の多くの学生が進学するからという理由だけで大学・大学院に進学してしまうと、こういったことが生じやすくなると思われます。「こうありたい自分」を見つけることは簡単なことではないかもしれませんし、年を重ねながら変化していく部分もあると思いますが、それが何なのか探し続けてみることはメンタルヘルスの維持のためにも大事なことだと思います。
そして、稲盛財団の皆様から研究助成を頂いた研究課題では、「先延ばし行動」という要因を追加して、精神健康との関係を調べました。先延ばし行動とは、事態が悪化することが予想できているのに自らものごとを遅らせる行動のことです。誰しも心当たりはあると思いますが、それがひどくなると、学業を含む日常生活に支障が出てきます。日常的に学生からこの点についての相談も多く、教員側もそういった学生の対応に困っているという声が度々寄せられていたため、調べる必要があると考えました。国内外の先行研究では、先延ばし行動を変容させる(減らす)ための介入研究なども行われていますが、介入プログラムの完遂率(最後まで終える人の率)の低さが課題のひとつとなっており、私自身も先延ばし行動を直接変容させることは容易ではないと感じていました。そこで、先延ばし行動変容のための準備性を高めるにはどうしたら良いのか、という発想になりました。
学生との対話から、先延ばし行動傾向のある人は、目的や目標が曖昧な印象を受けていました。そこで、先延ばし行動傾向、先ほど説明した肯定的な未来志向、精神健康の関係を調べてみたところ、肯定的な未来志向と先延ばし行動の間には負の相関があり(片方が強まるともう片方が弱まる)、肯定的な未来志向が強まるほど精神症状は弱くなることが示唆されました(下図)。
先延ばし行動傾向が強いほど、精神症状が強くなる傾向にもありましたが、その結びつきは肯定的な未来志向と比べると弱いものでした。
── 肯定的な未来志向を持つことが、メンタルヘルスを維持するための鍵になりそうですね。
佐々木 学生の回答の負担を考慮すると、ひとつの調査に含められる質問項目数には限りがあるのでこれがすべてではありませんが、学生のメンタルヘルスに対するアプローチのひとつの鍵が示唆されたことになるかと思います。今後さらに詳細な検討は必要ですが、肯定的な未来志向を促進するような教育や指導が重要であることが示されたと言えます。
例えば、学部の初年次教育やキャリア教育、学部・大学院双方の個別相談や教育研究指導などで、学生それぞれの強みと目標の明確化、目標達成のプロセスの可視化、ポジティブなフィードバック、小さな成功体験の積み重ねなどを行っていくことで、肯定的な未来志向を高める可能性があると考えられます。今後はさらにデータを増やして検証した上で、このような支援の効果を科学的に立証していきたいと考えています。
心を科学で立証していく意義とは
── 結果について、先生はどのように感じられましたか?
佐々木 学生相談を通して常々感じていたことがデータに現れ、完全ではないにしても確かめることができた、と感じました。心理学の研究では、世の中の常識を大きくひっくり返すような発見は多くはありません。日常生活の中で人々が何となく存在を感じている現象をはっきりとデータで示す、あるいは特定の現象の発生プロセスを説明する、それが心理学研究の醍醐味のひとつだと私は考えています。データで示すことで説得力が生まれ、対策が立てやすくなり、他分野の人々も巻き込んだ大きな意思決定も行いやすくなります。
また、研究論文としてまとめて発表することで、他の研究や教育現場でも活用されることがあるかもしれません。心理学に限らないと思いますが、臨床と研究は車の両輪によく例えられます。片方だけでは走ることができません。大学院時代までの私は臨床経験を経ずに研究活動をしていたので、有用な研究を行うためにも臨床の経験を積む必要性を感じていました。
JAISTでは私は保健管理センターの教員として雇われているため、学生相談での臨床業務に力を入れながら研究も同時に行っています。ここにたどり着くまでに紆余曲折ありましたが、現在は恵まれた環境で、大学院生のメンタルヘルスに臨床・研究両方の面から向き合うことができています。
── 学生の心の不調に向き合わざるをえない状況にいる大学教員のみなさんに対して、アドバイスをいただけますでしょうか?
佐々木 ひとりで悩まないでください、ということですね。学生の皆さんを支援するのは並大抵のことではありません。JAISTのように留学生が半分というケースは稀ですが、そうでなくても、最近の学生はかなり多様化しています。教員ひとりでできることには限界があります。JAISTの先生方には、先生同士の横のつながりで学生を見守ってくださいとお願いしています。学生相談室をはじめとする支援部署と共に対応方法を考えたり、情報の取り扱いには留意しつつ他の教員ともつながって、複数の知恵を持ち寄って対応したりすることが重要だと考えています。
また、今回の研究結果から、肯定的な未来志向の促進がメンタルヘルスの維持のために重要だということが示されましたが、大学での学習や研究活動において、個々の学生が既にどこまでできていて、これから補うべき点は何なのかというプロセスを明確化することや、成功体験を積み上げていく実感を持ってもらうことなどは、教員の立場だからこそできる心の支援ではないかと思います。
自分に足りない力を身につける修行の日々
── 大学生のメンタルヘルスを研究対象にしたきっかけは何だったのでしょうか?
佐々木 自分自身が大学生だったときに、先輩や先生方からのフィードバックや、研究室での何気ない会話のやりとりから成長を感じることができたので、今度は学生を支援する側になりたいと考えました。もともと動物が好きで、ヒトを含めた動物の行動原理に関心があり、学部生のときは金沢大学で「行動科学」のひとつとして心理学を学んでいました。心理学の基礎を学んだ後、大学院に進学するときに自分のやりたいことは何かと改めて考えて、当時盛んになり始めていた「健康心理学」という健康増進を主軸に置いた学問分野を選び、徳島県の鳴門教育大学に進学しました。当時は、深刻な状態になる前の段階で何かできないかということを考えていたのです。
大学院では主に、ストレスに対処する力(ストレスコーピング)をテーマに研究をし、博士課程の2年の時点で、計画していた調査研究を一通り終えることができました。しかしこのまま、臨床を知らずに研究をしていても机上の空論で終わってしまうのではないかという危機感のようなものがあり、学部時代の恩師のおひとりであった久野能弘先生に相談をしました。
当時、久野先生は名古屋の中京大学にいらっしゃいました。久野先生のスーパーバイズのもと、非常勤で週に1日学生相談を担当させていただくことになりました。このときが、学生相談との最初の出会いになります。この時期に臨床の修業をさせていただきながら博士論文をまとめていったことは、貴重な経験になりました。
臨床の中ではもともと医療領域に関心があったので、博士課程修了後はご縁あって名古屋市立大学病院こころの医療センター(精神科)医局に籍を置かせていただき、業務のひとつとして、外来の予診を担当しました。予診というのは、医師が診察をする前に患者さんからお話を伺うことです。患者さんが最初に出会う医療スタッフとしての役割を学べたことは、学生相談活動を行う上でも非常に大きな糧となりました。
将来、大学で学生を支援する立場になるとしたら、医療現場を知っておくことは必須だと考えていました。学生の支援の場面において、ときには医療につなぐ必要も出てきます。どの段階で医療につなげなくてはいけないのかを見極める力が必要ですし、医療側が正確な診断や治療方針の決定のために必要としている情報について理解しておくことが重要です。この医療現場での経験があってこそ、今の私があると考えています。
良い仕事をするためにオンオフをしっかりと切り替える
── 2013年にJAISTに来られるまで、いろいろな分野のお仕事をされていますね。
佐々木 子どもから高齢者まで、なるべく多くの臨床経験を積むことが重要だと考えていたので、さまざまなご縁に導かれ、多くの方々からのサポートを頂きながら、そのときどきに自分に必要なものを選んでいきました。どの経験も今振り返るとかけがえのないものでしたが、JAISTでパーマネントの常勤職に決まったときは、ほっとしました。
── 臨床と研究の両方を続けていくコツはありますか?
佐々木 メリハリをつけて働くことかなと思います。私の場合は、仕事を終えて駐車場に行って自分の車に乗ったら、パチンとモードが切り替わります。仕事に関して考えるのはもう終わり。逆に、家から車で職場に行って車から出たらパチンと仕事モードに切り替えます。
着任したばかりの頃は、土日も研究室で仕事をすることが多々ありました。しかし、特に臨床は相手がある仕事です。冷静な判断を日々求められるため、平時からしっかりと力を保っておく必要があり、メリハリのある生活を心がけるようになりました。
オフの時間は、自分が良い心身の状態でいられるように過ごしています。お気に入りの音楽を聴きながらマニュアル車でドライブをしたり、石川県内の美味しいお店を巡ったり、ガーデニングをしたりしていますが、一番の癒しは、4匹の愛猫たちです。動物たちのことをより深く理解するために、愛玩動物飼養管理士1級(日本愛玩動物協会)という資格を取得しました。研究者をリタイアしたあとは、これまで私の人生を豊かにしてくれた動物たちのために、何かできたらと思っています。
いつもそばにあるもの |
愛猫 4匹の愛猫と暮らしている佐々木氏。研究室にも愛猫の写真が飾られていました。「それぞれ生い立ちも性格も異なりますが、猫たちは『生きる』ということはどういうことかをいつも教えてくれますし、心理学を学び始めたころの初心を思い出させてくれます」 |
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この一冊 |
『ソロモンの指環―動物行動学入門』(コンラート・ローレンツ 著、日高敏隆 訳、早川書房) 1963年発行。卵からかえったヒナが最初に見たものを母親だと思い込む「刷り込み」の研究者として有名な著者によってユーモラスな筆致で書かれた動物行動学の名著。「進学先を検討中の高校2年のときに飛び込みで大学訪問して出会い、のちに臨床の師匠となった久野能弘先生に紹介していただいた本です。ローレンツ先生の動物に対する観察力と、動物愛がにじみ出ている描写の数々に、思わずニヤリとしてしまいます」 |
佐々木 恵(ささき・めぐみ)
北陸先端科学技術大学院大学保健管理センター准教授。公認心理師・臨床心理士。神奈川県生まれ。1998年に金沢大学文学部行動科学科卒業後、鳴門教育大学大学院学校教育研究科で学び、2004年に博士号(学校教育学:兵庫教育大学)取得。国立長寿医療センター研究所流動研究員、名古屋市立大学医学部精神医学講座研究員、鳴門教育大学予防教育科学センター准教授などを経て、2013年から現職。