InaRIS フェロー (2020-2029)

野口 篤史 Noguchi, Atsushi

東京大学 大学院総合文化研究科准教授※助成決定当時

2020InaRIS理工系

採択テーマ
誤り耐性量子計算のための超高精度量子制御
キーワード
研究概要
量子状態は壊れやすいため、私たちが普段目にするような大きな物体は量子力学には従わない。この破壊を防ぐ方法のひとつに「量子誤り訂正」がある。これにより、超伝導量子回路のようなマクロな系の状態も量子として扱えるようになる。本研究では、超高精度な量子制御技術によって量子誤り訂正を実現し、無限の寿命をもつ人工的な量子系を作り、その大規模化による誤り耐性量子計算の実現を目指す。

助成を受けて

InaRIS は長期にわたって支援をいただけるので、息の長い研究ができるということもありますが、非常に長く研究員を雇うことができるので、人材育成という点においても意義があると思います。また、今後集まるInaRISフェローと一緒に共同研究や議論をして、新しい分野を作っていくことにも挑戦したいと思います。

フェロー紹介動画








情報公開





超伝導量子回路を用いた研究について、窒化チタンを用いた高性能な超伝導量子回路の作製、新しいゲート手法の開発、拡張性のある回路提案を行った。作製された超伝導量子ビットのエネルギー緩和時間は最大で450 usであり、世界最高レベルの値が実現した。また、量子ビットをカプラーに用いた量子ビット間の新しい共鳴を発見し、高性能な量子ゲートを行うことに成功した。この手法により超伝導量子コンピュータの配線数を逓減することができる。また、より高性能な量子系を目指した電子トラップ量子系のため、極低温で低エネルギーの電子を検出する方法を開発した。また、極低温で捕獲された電子の振る舞いをシミュレーションにより解析した。

1.超伝導量子ビット
 1.1 高性能超伝導量子ビット
 トランズモンと呼ばれる超伝導量子ビットはその回路の単純さから世界中の超伝導量子コンピュータで用いられている。その性能向上は直接量子ゲートの高忠実度化につながるため、多くの研究がなされている。今回、シリコン基板上にエピタキシャル成長されたTiN薄膜に着目し、長いコヒーレンスを持つ超伝導量子回路の作製に成功した。T1と呼ばれるエネルギー緩和時間は最大450 us程度、T2と呼ばれるコヒーレンス時間は最大150 us程度がそれぞれ実現された。これは近年高性能な回路が作製可能な薄膜として着目されているTa薄膜と同程度の性能であり、世界でも最高レベルの性能である。Ta薄膜はサファイア基板上で実装されており、加工がより容易なシリコン基板上で高性能なTiN薄膜には非常に大きな可能性があると言える。

 1.2 カプラーを用いた高性能量子ゲートの実装と集積化
 超伝導量子コンピュータの2量子ビットゲートを実装する方法として、主に「周波数可変量子ビットを使った共鳴」「周波数固定量子ビットを用いた交差共鳴」「SQUIDへの磁場変調によるパラメトリック共鳴」という3種類の共鳴を利用する方法がそれぞれ実装されてきた。順に、google, IBM, Rigettiの超伝導量子コンピュータの実装方式である。多くの大学の手法もどれかに属す。これらの手法は互いに一長一短があるが、今回我々は、これらのゲート方法における短所を克服するものとして周波数固定量子ビットを用いた新しい共鳴を利用するゲートを提案・実現した。この手法は、エラーの原因となるアイドル時の残留相互作用が除去可能であり、またゲートに必要なマイクロ波強度が少なく、さらに量子ビットへの配線数を減らした拡張が可能である。NCAR(Nonlinear Coupler Assisted Rabi) transitionと名付けたこの新しい共鳴は、量子ビット間にもう一つカプラーとなる量子ビットを追加し、そのカプラー量子ビッドをマイクロ波で駆動することによって発現する。実際にサンプルを作製し、この方式による2量子ビットゲートの動作を確かめた。また、この新しいゲート手法を用いることで大規模な超伝導量子回路を少配線で実現することができる。
れたイオンを冷媒として用いることで冷却を実現する。とくに超伝導回路、イオン・電子間のクーロン相互作用それぞれの非線形性により、外場駆動により電子の振動状態とその他の量子系を結合し、ハイブリッド量子系を構成することで冷却する手法について議論した。どの方法でも量子基底状態までの冷却が可能であり、また超伝導量子ビットやイオントラップと組み合わせた方法では電子の振動量子の検出が可能であることを数値的に解明した。

2.2 極低温での低エネルギー単一電子検出
 前項で述べたように、電子トラップ量子系の実現の一つの方法として、極低温での電子トラップ技術が挙げられる。捕獲された電子のように真空中にある電子の検出方法として、室温においては電子増倍管やマイクロチャネルプレートと呼ばれる高効率の電子検出器が存在する。しかしこれらの手法は、高エネルギーの電子による2次電子発生に立脚しており、低エネルギーの電子を検出することができない。さらに微小な加熱が問題となる極低温では高電圧の印加が難しく、電子の加速にも課題がある。そこで、電子トラップ量子系の実現を目指し、極低温において低エネルギー電子を検出可能な新しい電子検出器を開発した。この検出器は、超伝導細線で構成されており、電子の衝突で超伝導が壊される現象を通じ、単一電子を検出する。実際に300 mK環境下でこのデバイスを操作させ、15 eVという非常に低エネルギーの単一電子を検出することに成功した。現在、この結果を論文にまとめて、投稿準備中である。

 2.3 極低温で捕獲された電子のシミュレーション
 ここまでに述べたように、電子トラップ量子系では極低温で電子を捕獲する。このような電子トラップ内に複数の電子が捕獲された場合の振る舞いをシミュレーションによって評価した。クーロン反発する電子が高密度低温になると、プラズマ状態からウィグナー結晶と呼ばれる状態に相転移することが知られている。イオントラップ量子コンピュータでも、このように結晶化した複数のイオンの集団振動を利用することで2量子ビットゲートを実装している。そこで、トラップ電子に対し、本研究で設計している電子トラップのパラメータを用い、ランジュバン方程式を解くことで、複数電子がどのような相状態になるかを解析した。この解析により、約2 Kという温度で複数の電子はウィグナー結晶に相転移し、個々の電子を量子ビットとした多数量子ビット系が実現することがわかった。












20世紀の初頭に誕生した量子力学は過去100年のあいだに著しい発展を遂げ、科学の広汎な分野にわたり、我々の世界に対する認識に大きな影響を与えてきた。素粒子から宇宙全体までのあらゆるスケールで量子力学の予言が検証され、物理学の基礎理論としての存在を確固たるものにしている。同時に量子力学は、集積電子回路技術や光通信技術をはじめとする、現代情報社会の根幹をなす技術の礎となり、日常的に意識されることは少ないながらも、すでに我々の生活に欠かせないものとなっている。

その一方で、状態重ね合わせなどの量子力学の基本原理を情報処理の研究開発へ応用する量子情報科学の考え方が議論されるようになったのは比較的新しく、今世紀初めから世界中で研究が加速されてきた。すでに小規模の量子計算ユニットの動作が試験され、最近では既存のスーパーコンピュータを凌ぐ量子超越性の実証が話題となっている。しかしながら量子コンピュータの本来の性能を引き出すためには、より高精度の量子制御を用いてエラーに強いアーキテクチャを実装する誤り耐性量子計算の実現が不可欠と考えられている。

野口氏の研究提案はこの課題に正面から取り組むものとなっている。いかに量子の自由度の制御を高精度に行うかという問題を追求し、より多くの自由度を持つ系における高度な量子制御の実現を目指して、量子計算・量子センシングに代表される量子情報技術の未来を切り拓こうとする野心的なものである。多自由度系の高精度量子制御をもって初めて可能となる誤り耐性量子計算の実現は、量子情報科学の大きなマイルストーンとなる重要な目標であると同時に、量子力学に支配される世界における人類の科学技術の到達点のひとつとなる。 野口氏はこれまでに、レーザー冷却され真空中にトラップされたイオンのような原子スケールの量子系から、超伝導回路の上で実現する量子ビット素子や半導体ナノメカニカル素子の機械的振動などのミリメートルスケールの量子系に至るまで、多様な物理系の実験に取り組み、次々と独創的な成果を挙げてきた。ラジオ波・マイクロ波から赤外光・可視光まで、幅広い周波数・エネルギースケールにわたる様々な量子制御技術を縦横無尽に駆使する、世界的に見ても稀有な若手研究者である。今回の提案においても、野口氏は超伝導回路を利用した新たな量子制御技術の実現を目指すだけでなく、真空中に電場でトラップされた電子などの新たな量子系を構築し、その上で高精度な量子状態制御手法を確立することを計画している。

野口氏は量子計算のための量子制御技術研究に関する有望なリーダーであり、InaRISフェローシップの支援により、今後10年という研究期間の中でこれまでにも増して次々と、斬新な発想に基づいた精緻な研究が展開されることが期待される。


関連ニュース

領域が近い研究者を探す

理工系領域