今回、稲盛研究助成に採択されて大変嬉しく思います。社会の中で展開する差別や排除、分断の解明/解消に少しでも貢献できるよう、本研究課題に取り組みます。
本研究の目的は、第二次世界大戦後の京都市内を対象に、都市開発において発生する立ち退き問題を調査し、これまで隠蔽されてきた戦後京都の開発の諸相、その歴史的経過の複線性を明示していくことです。とりわけ京都市内を流れる河川に架かる橋の下に住まう人々に改めて光を当て、彼らの生きる姿や生活実態の復原を試みました。京都の代表的地方紙『京都新聞』の終戦直後から1965年ごろまでに掲載された「橋下住民」や「橋下居住」に関する記事を網羅的に収集し、それを分析資料として用いています。
本研究で明らかとなったことをまとめると、まず当時の社会状況に翻弄されながらも、橋の下に住む人々の来歴はそれぞれ多様であったことです。戦争を含めて、社会の変化が橋下居住へと誘引するとともに、居住地選択における彼ら自身の能動性も垣間見ることができました。また、橋の下に住まう人々は、単身のみならず、様々な世帯の形がありました。不安定な状況に置かれているとはいえ、バタ屋(廃品回収業)をはじめ何らかの労働にも従事しており、排除や温情など複層的な社会関係のなかで存在していたということです。このように、決して一筋縄では理解できない橋の下に住まう人々でしたが、1960年代に入ると、新聞記事の中で取り上げられることも減少していき、1964年に京都市による一斉撤去が実施されたことで、橋の下に住まう人々は一旦消滅することとなりました。
人文・社会系領域